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ガーラ・グランディ木場不買運動

江東区東陽のガーラ・グランディ木場や赤羽橋のガーラ・プレシャス東麻布は隣接地境界スレスレの約50cmに建設する悪質な投資用ワンルームマンションです。 ガーラ・グランディ木場は休日祝日無視で作業する突貫工事です。突貫工事は建物の品質もいい加減になりがちです。 https://sites.google.com/site/boycottfjnext/ ガーラ・グランディ木場の仮囲いは粗末である。近隣住民の工事被害を防げるものになっていない。 http://akiba.geocities.jp/uchuubaka/gala.html ガーラ・グランディ木場は自然破壊である。実需とは関係なく、迷惑勧誘電話で無理やり売りつけるために自然が破壊され、醜悪なマンションが建設されることはやり切れない。 https://sites.google.com/site/boycottfjnext/nature

October 04,2015

● 『スターリン秘史 巨悪の成立と展開 3』雇われ左翼批判

不破哲三『スターリン秘史 巨悪の成立と展開 3 大戦下の覇権主義 上』(新日本出版社、2015年)はソビエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンの問題を明らかにする歴史書である。スターリンが地上の楽園を建設する指導者ではなく、恐怖の独裁者であったことは広く知られている。本書は、そのスターリンの問題を一層深めている。

スターリンはナチス・ドイツと不可侵条約を締結した。ナチス・ドイツと共にポーランドを分割した。日本とも中立条約を締結した。これは将来のファシズム陣営との決戦を見据えた一時的な方便と解釈されることが多い。これに対して、本書はスターリンがファシズム陣営との世界分割を本気で考えていたと主張する。

この主張は新鮮である。結果からすればヒトラーは滅び、スターリンは生き残った。故にスターリンはヒトラーの一枚も二枚も上手だったと考えたくなる。特に日本人はソ連が大戦末期に中立条約を破って攻めこまれた経験があるために、ソ連のズルさ、卑怯さを考えたくなる。しかし、独ソ戦でソ連が大損害を受けたことを考えれば、スターリンが、それほど巧妙だったとは言い難い。スターリンがファシズム陣営との世界分割を本気で考えていたとの主張には説得力がある。

これを日本共産党委員長だった人物が主張していることは興味深い。ファシズム体制と共産主義体制を全体主義体制として同一視する見方は、資本主義陣営の保守勢力から唱えられる傾向があるためである。この視点があるからこそ、第二次大戦後の冷たい戦争への突入が正当化される。西ドイツの闘う民主主義もナチスの否定だけでなく、反共としても機能した。

日本でも反動的と批判されている中学歴史教科書がファシズムと共産主義体制を同視する視点を有している。自由社の教科書は「2つの全体主義」と題し、「一つは、マルクスの思想に始まり、ロシア革命を引きおこした共産主義である。もう一つは、ドイツとイタリアを中心としたファシズムである。どちらも全体主義の一種」と述べる。『スターリン秘史』の批判の矛先はスターリンであって、共産主義ではないが、反共につながり得る論理を著者のような人物が採ることは大胆である。

ファシズムと共産主義を同一視して共産主義を攻撃する立場への反論としてオーソドックスな手法は、「ファシズムと共産主義は違う、共産主義には良いところがある」というものである。しかし、ソ連の実例を考えれば、ソ連にも良いところがあるという主張は説得力に欠ける。資本主義を批判しようとする人々こそ、ソ連の問題点に向き合うべきだろう。

日本の左翼には文学の題材にもなったスペイン内戦の影響か、自由主義者と社会主義者が手を取り合ってファシズムと闘う統一戦線にロマンを感じる向きがある。しかし、そのような統一戦線は中々実現しない。それは自由主義者にとっては、ファシズムも共産主義体制も国家優先で個人の自由を抑圧する全体主義体制に変わりはないという冷徹な視点があるためである。その中で左翼側から幅広い連携を志向するならば、本書のようなソ連の全体主義への徹底的な批判精神が欲しいところである。

本書の主張は北方領土問題における日本政府の主張にもプラスに機能する。当時のソ連の外交の動機が領土拡張に過ぎないということを明らかにし、ソ連の道徳的な優位性を否定できるためである。

本書は、このスターリンの世界分割の野心にコミンテルンが利用され、コミンテルン加盟の各国共産党がソ連共産党の傀儡となったとも指摘する。これも重要な指摘である。現代日本には愛国心などを強調する勢力が実はアメリカ従属を進めているという矛盾がある。

この「雇われ右翼」問題は有効な批判になるが、これは日本の左翼にも跳ね返る問題である。ソ連共産党や中国共産党の傀儡であった「雇われ左翼」の存在は否定できない事実である。「雇われ左翼」を無視して、「雇われ右翼」を批判するならばダブルスタンダードになる。「雇われ左翼」の問題と向き合うことは意味がある。
http://www.hayariki.net/poli/sayoku2.html
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林田力の書評

↑   by 林田力 at 16:32 | comments(0)

June 22,2013

● 林田力 書評 貧困都政

永尾俊彦『貧困都政 日本一豊かな自治体の現実』(岩波書店、2011年)は貧困と格差が蔓延した東京都政の寒い実態に迫ったルポタージュである。『貧困都政』は冒頭で貧困ビジネスを取り上げる。築地市場移転問題やオリンピック招致の無駄遣いなど興味深いテーマが続くが、本書評では貧困ビジネスに的を絞る。

貧困ビジネスには貧困者を搾取する極悪非道の連中というイメージがある。この理解は一つの真実である。現実に石原都政でも宅建業法違反で業務停止処分を受けた悪質なゼロゼロ物件業者は存在した(東京都都市整備局「宅地建物取引業者に対する行政処分について」2010年6月8日)。これに対して『貧困都政』では貧困ビジネスが生まれる背景である行政の責任放棄にメスを入れる。資本主義に放任するのではなく、政治に反貧困の意識が求められる。

貧困ビジネスには貧困者を食い物にして暴利を貪るとイメージがある。しかし、『貧困都政』が取り上げた貧困ビジネスは「赤字か黒字かの境界線上をさまよっていたようで、少なくともボロもうけしていた形跡はない」とする(20頁)。ここに貧困ビジネスの救いがたい実態がある。貧困ビジネス自体が赤字か黒字かというギリギリのところにあるために、貧困者を劣悪なゼロゼロ物件に住まわせるという非人道的なことを平然とする。貧困ビジネスは「貧すれば鈍す」が実態である。

そして、この事実は貧困ビジネスとの闘いが不毛でないことを示している。貧困ビジネスは資金が続かなければ破綻するからである。現実に東京都から業務停止処分を受けたゼロゼロ物件業者は姑息にも名前や代表者名、免許番号を変えて営業を続けたが、それから一年で消滅した。さらに名前を変えて新たな営業を始める危険はあるが、貧困ビジネスへの批判を続けることが消費者運動の勝利をもたらす。
http://hayariki.net/10/19.htm

林田力の書評

↑   by 林田力 at 11:42 | comments(0)

December 31,2012

● 今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』

今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書、2012年)は社会問題になっているブラック企業を取り上げた書籍である。ブラック企業とは従業員を劣悪な条件で働かせ、うつ病から離職へ追いこみ、平然と「使い捨て」にする企業を指す。

著者はNPO法人POSSE代表として1500件を越える若者の労働相談に関わってきた人物である。その知見に基づいて「ブラック企業の見分け方」「入ってしまった後の対処法」などを指南する。NPO法人POSSEは若者の貧困・格差問題に取り組む団体である。

就職先としてブラック企業は絶対に避けなければならないことは言うまでもないが、ブラック企業の存在自体が日本社会に害悪を及ぼしている。ブラック企業の弊害は若者の鬱病、医療費や生活保護の増大、少子化、消費者の安全崩壊、教育・介護サービスの低下など多岐にわたる。ブラック企業が日本の未来を奪う日本劣化の原因といっても過言ではない。

ブラック企業が蔓延する背景にはブラック弁護士法人(ブラック法律事務所)がある(208頁以下)。利益至上主義の弁護士法人がブラック企業の法務や労務管理を担当する。弁護士としての使命感や倫理観は皆無である。本書では以下のように述べている。

****

私たちの相談には、辞めようとしたら弁護士から損害賠償請求の書類が送られてきたり、残業代を請求しようとしたら、逆に弁護士から脅された、という相談が数多く寄せられている。

こうした背景には司法制度改革で弁護士の数が激増したことがある。2000年に1万7126人だった弁護士の登録者数は、2011年には3万485人になった。ロースクール制度が整備され、大量に新規登録者が生み出された結果である。だが、急激に増加した弁護士の受け皿は増えていない。そもそも、当初「地方で弁護士が不足している」ことが、増員の理由の一つにあげられていたが、新規登録者の多くは東京近辺など大都市部にとどまっている。その結果、弁護士資格をとっても弁護士事務所に就職することができないものがあふれかえっている。また、弁護士事務所そのものが「ブラック化」している。今年弁護士登録した(第64期)の弁護士に話を聞くと、すでに周りの同期が何人も弁護士事務所を「自主退社」しているという。その経過はブラック企業と瓜二つである。相談室のドアを閉めていたところ、「外から相談の様子が見えないと、何が起こるかわからない。非常識だ」(おそらく、開けていても同じことを言われるだろう)と激しく叱責されたり、できるはずのない高度な訴状の作成をいきなり命じられる。そして、昼休みにも高度な法律の問題で質問攻めにして追い込む。ある女性弁護士は、見るからに痩せ衰えて、「自分は仕事ができない人間だ」というようになり、性格まで変わってしまったという。こうして、知り合いの内何人もが同じように弁護士事務所を去り、中には弁護士登録をやめてしまった人も出ているという。

弁護士事務所の場合にも、利益を出すために、ひたすら事務的な仕事を新規登録者にやらせて、「使えない」と判断すると、すぐに切る。こうして大量の弁護士が仕事にあぶれている。また、その過程で使命感や倫理感も失っていく。そうした弁護士たちが、ブラック企業の労務管理に介入してくることは想像に難しくない。

実際、かつては弁護士の業界は狭く、誰がどこに事務所を構え、どんな仕事をしているのかは、お互いによく知っていた。だからこそ、悪評もすぐにたち、なかなか無理な仕事はできなかった。だが、現在では同じ弁護士会の会員でも、まったく知らぬものが増えたという。

私の経験でも、完全に違法な行為に若い弁護士が加担してくるケースは後を絶たない。時には、まったくでたらめな損害賠償の請求書類に何人もの弁護士が名前を連ねて送ってくる。「脅し」のつもりなのだろう。

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http://www.hayariki.net/3/18.htm
実際、以下のような非常識な法律事務所の話を聞いたことがある。法律相談中に東日本大震災が起きたが、相談者の安全を図らずに法律相談を強行して相談者を帰宅難民にさせた。震災後の鉄道の運休で出勤できなかった従業員全てを欠勤(減給)処分にした。

ブラック弁護士法人は被用者(新人弁護士や事務職員)に対してブラックであるだけでなく、ブラック企業を指南するために二重の意味でブラックである。ブラック弁護士法人の根絶がブラック企業根絶の道である。

林田力の書評

↑   by 林田力 at 14:08 | comments(0)

November 25,2012

● 中島誠之助『やきもの鑑定五十年』

中島誠之助『やきもの鑑定五十年 拝見させていただきます』(小学館、2006年)は焼き物の鑑定に携わってきた著者によるエッセイ集である。著者は『開運なんでも鑑定団』にレギュラー出演する鑑定家である。

著者は「古物の世界には値段のつかないものはない」と語る(13頁)。相続裁判で遺産を過小評価するために茶道具や懐石道具、着物の評価額を0円と主張した人物がいるが、非常識にもほどがある。しかも、その人物は和解協議で動産の幾つかを引き渡す話になると、自己が無価値と主張したものでも引渡しを拒否した。本心では無価値とは考えていない証左である。
http://www.hayariki.net/7/19.htm
茶道具について中古品であることによって価値が下がるというような人物がいるが、無知を自白しているようなものである。『やきもの鑑定五十年』では萩焼について以下のように解説する。「萩茶碗をいいえて妙な言葉に、『萩の七化け』がある。これは使い込むほど釉薬が変調して、景色の変化とともに侘の風情が現れることを指している」(115頁)
http://hayariki.x10.mx/mccmccmcc3.html

『やきもの鑑定五十年』では業者による買い取り価格と販売価格の差も書かれている。著者は70万円で購入した大皿を150万円で転売したという(128頁)。業者は転売の利益も見込んで価格を付ける。業者の鑑定価格は物品の価値を反映するものではないことが分かる。(林田力)

林田力の書評

↑   by 林田力 at 23:14 | comments(0)

October 07,2012

● 岩見良太郎『場のまちづくりの理論』

岩見良太郎『場のまちづくりの理論 現代都市計画批判』(日本経済評論社、2012年)は都市計画の研究者による研究書である。現代日本の都市計画は人々に豊かな暮らしをもたらしていない。この問題意識から「場」をキーワードとして、豊かな活動、生き甲斐のステージとしてのまちづくりを提起する。

『場』についての哲学的な文章が続くために表面的には難解であるが、主張は明快である。著者は二子玉川ライズ住民訴訟で証言するなど活動的な研究者である。『場のまちづくりの理論』の場とは単なる場所ではなく、街は単なる建物の集合を意味しない。人々の生活や交流の場である。縁のある場ということに意味がある。

しかしながら、現代日本の都市計画は開発業者の金儲けのために場を破壊する方向に利用されている。その典型例として東京都世田谷区の二子玉川東地区市街地再開発(二子玉川ライズ)などを取り上げる。二子玉川ライズに対する著者の批判は厳しい。これらは二子玉川ライズの実態を正確に描写するものである(林田力『二子玉川ライズ反対運動』)。

「土地の高度利用の追究で、緑地・オープンスペースはきわめて貧困なものとなり、また、局地的にそれをおこなったため、周辺地域に機能障害・環境破壊をもたらすものとなっている」(144頁)

「本事業で設けられた巨大な人工地盤は、周辺地域との連続性を心理的にも、物的にも希薄にし、周辺から隔離した孤立的環境をつくりあげた。これは、再開発地域内の住民と周辺住民が一体となって、新たなコミュニティを創り出すという可能性を奪うものである」(146頁)

「東急の大商業ビルが、その吸引力によって『地域社会の活性化』をもたらすと強弁するかもしれないが―むしろ、その逆の可能性の方が大きい―自らの利益追求のために建設したにすぎない」(146頁)

場を破壊する行政や開発業者に対し、場を守り、発展させる活動が開発反対の住民運動である。反対運動に対しては判で押したように「反対のための反対で生産的ではない」とのステレオタイプな批判が出てくる。これに対して『場のまちづくりの理論』は反対運動に積極的な意味を見いだす。住民が主体的に活動する反対運動が地域の縁を強め、場を活性化させる。

既存の生活を場や縁という価値で理論化する『場のまちづくりの理論』の視点は住民運動に希望を与える。開発推進派は開発による経済発展というドグマを押し付けてくる。このドグマは不動産不況の中でメッキが剥がれてきているが、まだまだ強固である。反対運動にもドグマの前提を無意識的に受け入れてしまい、自然保護という対抗価値に頼る傾向がある。

開発による経済利益よりも自然に価値があるという思想は正しい。反対運動が守るべき街は世界自然遺産のようなものではなく、多かれ少なかれ自然を破壊しているものである。逆に開発推進派からは木造密集地域を再開発して超高層ビルを建設し、オープンスペースを作ることが緑化になると反転攻勢にも使われる。自然保護は重要なキーワードであるが、自然保護一辺倒では行き詰る。

「木造密集地域に価値がある」と胸を張って主張できなければならない。その価値を『場のまちづくりの理論』は示すものである。『場のまちづくりの理論』の指摘はバブル経済崩壊後の新たな指針となるべきであったが、東日本大震災後は一層重要になる。(林田力)
http://www.hayariki.net/7/22.htm

林田力の書評

↑   by 林田力 at 16:18 | comments(0)

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林田力(はやしだりきHayashida Riki)は漫画・ドラマ・書評・不動産・裁判・住民運動・市民運動などジャンルを問わず活動中。著書に『こうして勝った』(ロゴス社、2009年)。東京都世田谷区の二子玉川東地区再開発(二子玉川ライズ)の住民被害や反対住民運動を詳細に紹介し、「世田谷問題を精力的に取材されているネット・ジャーナリスト」と評される。
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