S・J・ローザン著、直良和美訳『この声が届く先』(創元推理文庫)は私立探偵を主人公としたシリーズ物の一作である。冒頭から主人公ビル・スミスはピンチに陥る。ある日の朝、「リディア・チンを誘拐した」と正体不明の男から電話で告げられる。相棒の命を救うためにビルは犯人のヒントを手掛かりとしてニューヨーク中を駆け巡る。このためにニューヨークの土地勘がある人は一層楽しめる作品になっている。
物語では中国系アメリカ人の存在感が大きい。多民族国家アメリカの実情を反映している。また、IT社会の実情も反映している。主人公らはGoogleマップやストリートビューを使用して手がかりを得ようとする(30頁)。現代的な事情が反映されている。日本の土地共有持分確認等請求事件(平成20年(ワ)第23964号)の裁判でも、ストリートビューで取得した被告宅の写真が証拠(甲第27号証)として提出された。
http://hayariki.net/4/30.htm
犯人の正体は不明である。犯人が自分に恨みを抱いていることは分かるが、私立探偵という職業柄、逆恨みされる可能性は複数存在し、犯人の正体を特定できない。これは林田力にも経験がある。林田力もインターネットで誹謗中傷を受けたが、当初は犯人を見極められなかった。
最終的に宅建業法違反を告発したゼロゼロ物件業者であると判明し、ゼロゼロ物件業者の批判を続けることでゼロゼロ物件業者は廃業した。主人公が犯人の正体に気付いた際に「どうして、いままでわからなかったのだろう。思い当たらなかったのが不思議なくらいだ」と振り返る(136頁)。これも林田力も同じであった。
正体が明らかになった犯人は十分に嫌悪感を抱かせる人格異常者であった。犯人と関係した登場人物は犯人に殺意を覚えるが、それが十分に納得できる描かれ方である。犯人の身勝手さを示す口癖に「相手に合わせたって損はない」というものがある。犯人が身勝手な暴言を吐く。その暴言を向けられた人物は当然のことながら腹を立て、態度を硬化させる。それに対して犯人は上記の口癖を出す。「自分に合わせろ」という身勝手なエゴイズムである。
犯人ほどの人格異常者は現実社会では稀である。逆に大勢存在したら社会は成り立たなくなる。しかし、犯人的な要素は日常でも接することはある。たとえば相手を不快にさせるような乱暴な発言をしておきながら、「興奮して言葉が乱暴になっていますが」とフォローしたつもりになっている輩である。
自分の興奮状態を汲み取って、表面的な言葉遣いから態度を硬化させるなという身勝手な論理である。現実離れした異常者を描きながらも物語がリアリティーを失わない背景は、その片鱗を現実の不快な人物に重ね合わせることができる点にある。(林田力)
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